産みの苦しみ

2005年1月14日 日常
 文章を書くことは難しい、と思う。人に見せるものとなれば、なおさら筆が進まない。「責任」という言葉が重くのしかかる。小学校、中学校の頃は私の発言をまわりの大人が大目に見ていてくれたのだなということしみじみと感じる。確かにあの頃は、まわりの大人に不満を抱き、「なぜ」という質問をぶつけまくっていた。質問の答えを探していた。しかし、オジサンという人物はどうだろう。一部のオジサンは、言いたいほうだいに自己主張する。オジサンの意見は無視されたりすることもあるが、大抵は寛大な人間によって聞き入れられたり、聞き流されたりする。そして、「オジサンだから」と言って許されたりする。私は「オヤジ好み」の食べ物が好きだから、オジサンには多少なりとも親近感を持っていたはずだった。しかし、私は時々オジサンを遠くに感じる。

 オジサンは時に小さな声で「ありがとう」とか「大丈夫だよ」と言ってくれる。しかし、一部のオジサンは不平・不満を言う。一部のオジサンは自分たちの頭の中にないボキャブラリーを言われると拒絶反応を示し、別の話をしろと言う。果たして彼らはそれらの問題の解決策を答えを求めているのだろうか。彼らは新しい変化に順応していけるだけの柔軟性を備えているのだろうか。

 私は一生かかってもオジサンにはなれない。性別が違う。オジサンとオバサンは似ているようで似ていないから、オバサンにはなれてもオジサンの心理はわからないだろう。オジサンという生き物はわからない。彼らのように大胆になってみたいものだ。

おやじ心と男性心理がわかる!
http://www.w-woman.com/archives/000163.html

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